Sunday, September 14, 2014

2012年ノーベル医学・生理学賞、山中伸弥教授の受賞によせて


また、ノーベル賞の季節になってきた。日本人の受賞ラッシュにより、また今年も受賞するのではないかという期待をするようになってきた。二年前、山中伸弥教授の受賞にあわせて、記載した「医学のあゆみ、243(10):923, 2012」の文章を貼りました。iPSC医療がスタートし、どのような展開を見せるかは分かりません。でも、自分がどのように当時思ったかがよく分かる文章です。

細胞のリプログラミング、iPS細胞、再生医療------2012年ノーベル医学・生理学賞、山中伸弥教授の受賞によせて
山中伸弥教授、ノーベル賞受賞おめでとうございます!! 心よりお祝い申し上げます!! 英国のジョン・ガードン卿と一緒の受賞である。ノーベル賞まちがいなしと言われていたものの今年受賞するとは、山中教授本人も思っていなかったようである。今回の受賞はノーベル医学・生理学賞であり、ノーベル六部門の中でも最も花形部門であるように感じている。日本中が山中教授のノーベル賞受賞に湧いたが、一番影響があったのは若い科学者及び科学者を目指す子ども達ではないか。ノーベル賞は海の向こうの科学者のためにあるのではなく、極東の島国で行われた研究にも与えられる。自分が大学院生の時の上司は京都大学工学部出身でノーベル賞は身近であり、大学院生の半分くらいはノーベル賞を目指していると私に言った。目指していなくても意識していると。東京の私大を卒業した者にとってノーベル賞を意識するなんて口にするのもはばかれるくらいだった。これからは、物理学賞、化学賞に加えて、医学・生理学賞を目指す学生が絶対に増えると信じる。野球然り、サッカー然り、世界と伍して検討する日本人の出現は、その分野の底辺を広げてくれる。若い科学者、学生がきっときっと元気がでてきて、漠然としたものであるにせよ、いずれノーベル賞をと思い、挑戦する気持ちとともに人類に貢献しようとする気持ちがうまれてきたはずだ。
山中博士は将来二つ目のノーベル賞を貰う!!
山中氏が将来二つ目のノーベル賞を受賞する可能性は決して低くない。今回の受賞理由はリプログラミングであり、ノーベル財団の受賞理由は、「成熟細胞をリプログラムさせて、多能性を獲得させることができる。」ことを証明したことである(ノーベル財団ホームページ)。驚くべきことは、iPS細胞の文字は全く認められない。将来、iPS細胞が細胞医療の薬として、さまざまな病気に対して効果を示せたその日には二度目のノーベル賞そして単独受賞もありえるのではないだろうか。受賞理由は、「iPS細胞によってもたらされた再生医療・細胞移植による新規治療法の開発」となるはずである。山中氏がノーベル賞を受賞した直後の10月に米国にて開催された国際幹細胞会議のタイトルは細胞リプログラミングであった。その会議の中で、山中氏と高橋和則氏は臨床に向けたiPS細胞の医療応用に向けての取り組みに関して報告した。特に山中氏は臨床に向けたバンク化をどう効率的に進めていくのかという医療に向けた取り組みにフォーカスを絞っている。二つ目のノーベル賞に向けたスタートを既に切った。
ガードン博士の発見はカエル腸上皮細胞の核を未受精卵に移植して、カエル個体全体が過不足なく発生することである。この事実は、発生過程で設計図であるゲノムが不変であることを意味している。この1960年代の発見のときにリプログラミングという概念を持っていたのであろうか。もちろん、ワディングトン博士のエピジェネティクス・ランドスケープモデルにて、発生過程で戻れない下り坂があることは紹介されていたところである(Waddington’s epigenetic landscape, from C.H. Waddington. Thestrategy of genes: a discussion of some aspects of theoretical biology (Allen& Unwin, 1957))が、その勾配に逆らって登る過程(リプログラミング)を意識していたのであろうか。気になるところである。ガードン博士は、1980年代に科学者を目指した者たちにとってはスーパースターである。英国紳士であり、今年(2012年)の再生医療学会でも発表し、自身が現役で学者としてがんばっている様子が感じられた。会場にサイエンスの香りを感じたのは私だけではないはずである。山中氏もガードン博士とのノーベル賞受賞にかかる発表後に初めての共同記者会見で、20年後にガードン博士のように(現役でバリバリやる研究者に)なりたいと言った。
iPS細胞作製に向けて他の科学者との戦い
山中氏自身も多くのメディアに伝えていることであるが、iPS細胞作製に至る過程で日本人研究者の存在がある。まず、概念的には、多田高博士のES細胞と体細胞の融合により、体細胞ゲノムがリプログラムするという発表(Embryonicgerm cells induce epigenetic reprogramming of somatic nucleus in hybrid cells.Tada M, Tada T, Lefebvre L, Barton SC, Surani MA. EMBO J. 16:6510, 1997; Nuclear reprogramming of somaticcells by in vitro hybridization with ES cells. Tada M, Takahama Y,Abe K, Nakatsuji N, Tada T. Curr Biol. 11:1553, 2001)がiPS細胞誕生の元となるパラダイムであることは間違いない。ES細胞に含まれるタンパク質により、体細胞ゲノムがES細胞ゲノム状態にあることを明らかにした。この事実に基づき、転写因子を探りに行った。次に、北村俊雄博士によって開発されたレトロウィルスベクターである。このレトロウィルスベクターの感染効率なくしてiPS細胞発見はなかった。北村氏が多くの研究者にこのベクターを無償で供与した事実は大きい。また、山中4因子を選び出す元の情報として、マウス遺伝子の発現情報を含めたデータベースの存在は大きい。データベースから24つの遺伝子を選び出し、その中から本質的な四因子を実験的に同定した。理化学研究所の林崎良英博士によって作成されたデータベースを利用している。また、データベースに関しては、マウスの着床前期胚の発現データベースを作成していた米国NIH(当時)の洪実博士の貢献もあるのではないかと推測する。
山中氏なくしてiPS細胞樹立はあったのか。
iPS細胞という名称は山中氏の天才的な感覚で命名されたものであるものの、体細胞からES細胞を作製しようとした試みは少なくない研究者によって10年前には行われていた。行われていたのは事実であるものの、山中氏抜きにしてiPS細胞発見はあったであろうか。一般的に科学の発見というものは、一番初めの発見者が見つけなくても、時期が来れば他の科学者が発見していると言われることが多い。一方、iPS細胞に関してはその事実はあてはまらないのではないか。一体誰が24種類のウィルスベクターを一辺に感染させようとするだろうか。iPS細胞作製における実験デザインがエレガントであること。転写因子を導入するという発想から行ったこと。iPS細胞は、体細胞に転写因子を足し算するという戦略をとったが、2005年の頃は引き算の概念の方が主流ではなかったか。体細胞がiPS細胞になるには、阻害している因子があり、その因子を除去するという考え方もあった。また、ES細胞における転写因子のネットワークを明らかにすればiPS細胞はできると思い、ネットワーク解明に皆が全力を尽くした。転写研究が時代的にも盛んであった。それらのことを考えると山中氏がいなかったら、iPS細胞はできなかったのではないかと私は思っている。
山中博士のセレブリティとスター性
米欧の科学者は社会的地位が高い。一方、日本における科学者はオタク文化にも通じ、社会性の欠如が指摘されることが多い。ポジティブな言い回しをすると科学者になるような者は社会では通用しないから科学の世界でのみ生きていけて、そのような職業が存在することを感謝しなくてはいけない(実際とても感謝している)ような雰囲気がある。山中氏のノーベル賞は、国際社会、日本人、若い学生とともにわれわれのような科学者が社会的に認められるということを実際に見せてくれた。山中さんはやってくれた。ノーベル賞の受賞に日本国中が沸く前からこの五年くらいの科学を引っ張ってくれた。科学の負の側面が強調されることが多い世の中で医学を含めた生物科学に従事している者に誇りを与えてくれた。野球の野茂やイチローとならぶ、生物科学界のスターである。スター性とともに講演やインタービューにおける洗練された話は一流であり、セレブリティを感じる。政界、官僚、社会とそして友人との付き合い方を含めたエピソードそれぞれに驚嘆することが多い。山中博士、感謝の気持ちも込めて、もう一度、「ノーベル賞おめでとう!!!!」。
「医学のあゆみ」は、昨年第五土曜特集で「次世代iPS医療(201123914刊、1231日)」を扱った。多くの反響を呼び、iPS細胞の発見・発明が基礎医学のみならず、次世代の医療に向けての取り組みが紹介されている。山中氏がiPS細胞で二つ目のノーベル賞を受賞するには、次世代iPS細胞医療が実現していなくてはならない。そのためにも、多くの日本人研究者の活躍と競争が必要であることは間違いないことである。