ヒト発生の運命
研究者の中には,人生のすべてをサイエンスに捧げていまうヒトがいます。年がら年中,サイエンスについて考え続けるヒトがいるのです。サイエンスに全てを捧げてしまった一人の後輩が,13年前(1985年)に研究室で僕に話しかけてきてくれました。ぼくは,彼のことを尊敬していましたので,彼から話を聞けるなんてと嬉しく思っていました。彼のサイエンスに関するアイデアは卓越していて,レベルが高く,僕には神様からの言葉のように感じました。彼はあまり僕に話かけてくることはありませんでした。彼は,優秀なヒトとのみ,時間をシェアします。
13年前(1985年)のその日、夜の12時くらいから朝4時まで僕に語ってくれたことは,「電算機の上でヒトを作り出してみせる。ヒトの発生を受精から模倣して,ヒトを作り出してやる自信がある。」という内容でした。その時,僕は彼の言っている意味を心から理解したいと思いました。小学生の時にダンテの神曲を読み,サイエンスの領域で既に大発見をひとつ成し遂げている彼が何か素晴らしいことを考えているのは間違いありません。内容はこんな感じです。ヒトの受精卵は,最後には体中の細胞に変化することができるということと,その過程で生じるさまざまな遺伝子の働き具合をすべて予想してやる。途中は一定の定常状態が存在し,別の定常状態に移動することがヒトの体づくりの運命なんだ。そんなことを,彼は真剣に語るのですが,世界のサイエンスそのものも今ほど情報もなく,「全ての」遺伝子の動きや働きを予言するなんてできるわけないと思ってました.そう思いつつも,朝4時までの議論で少し精神状態がハイになっていたせいもあって,僕は彼が真の予言者になってくれるのはないかという期待でかなりわくわくしてしまいました。
僕の研究範囲の中にも,彼との話と関係のあるいくつかのおもしろいことがありました。自分の研究対象である骨髄の細胞は,骨になるし,脂肪になるし,心臓になることができます。でも,これらの骨髄細胞は,脳や肝臓にはなることはできません.つまり,この大人の体の中にある「できあがった」細胞である骨髄細胞は,部分的にいろいろな細胞になるという「部分全能性」があるということです。次に出会ったのは、当時のボス(秦順一先生)が樹立したヒトの胎児性がん細胞です。この細胞は、受精卵のように筋肉でも脳でも胎盤でも何にでもなれます。「全能性」があるのです。
細胞が心臓であるためには,DNAの状態が心臓型になっていなくてはいけません。受精卵には,何にでもなれるというDNAの修飾状態だから,どんな細胞にもなれるという「全能性」という能力がある。それから、僕たちの生殖細胞または生殖細胞になるべき細胞は,世代をこえていき続けているわけです。この細胞のDNAの修飾状態が分かれば,ヒトの不死のメカニズムがわかってしまうはずです。こんなことを僕は最近、始終,考えています。
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