西野「DNAのメチル化やヒストンの修飾を含むエピジェネティクス環境は細胞の組織特異的遺伝子発現パターンを決める記憶装置として働き、各細胞の性質を決定づける基盤となると私は考えています。近年、正常なDNAメチル化パターンが乱されると正常な個体発生が出来ないこと、癌化を含む様々な疾患の原因となることなどが報告されており、医学におけるエピジェネティクス研究の重要性が高まっています。実際にアメリカなどではDNAのメチル化やヒストン修飾を標的とした抗がん剤が実用化されているそうですが、それらの現状をお聞かせ下さい。」
梅澤「エピジェネティクスの基礎研究の場においてDNAの脱メチル化を誘導する5-アザシチジン(5-aza-C)、5-アザデオキシシチジン(5-aza-2’-deoxycytidine,5-aza-dC)やヒストン脱アセチル酵素(HDAC)の阻害剤などが使われていますが、これらの低分子化合物が抗がん剤として医療に使われ始めています。元東京都知事の青島幸男さんの死因として注目された骨髄異形成症候群(MDS)の初の治療薬として5-aza-C (VidazaTM:Pharmion社)は2004年にFDA(米国食品医薬品局)に承認されています。同様に5-aza-dC (DacogenⓇ: MGI PHARMA社) も2006年にFDAに承認されました。これらの薬は症状を改善し、輸血の必要性をなくし、白血病の発現を遅延させる効果があります。米国発売以来医療機関に広く受け入れられ、その作用メカニズムはDNAのメチル化を阻害することで遺伝子の配列を変化させることなく、クロマチン構造を変化させ遺伝子の発現を変化させ、腫瘍性増殖の抑制をするとされています。また、ヒストン脱アセチル酵素阻害剤(HDAC阻害剤)であるVorinostat (ZolinzaTM: Merck & Co社)は2006年、Romidepsin(IstodaxⓇ: Gloucester Pharmaceuticals社)は2009年に皮膚T細胞リンパ腫(CTCL)の治療薬としてFDAに承認されています。」
西野「間葉系幹細胞、ヒト胚性幹細胞(ES細胞)、ヒト人工多能性幹細胞(iPS細胞)を用いて再生医療へ向けた研究をなされていますが、再生医療とエピジェネティクスの接点をどのように考えておられますか?」
梅澤「再生医療とエピジェネティクスの大きな接点は二点あると考えています。第一点は分化細胞の脱分化誘導剤あるいは未分化細胞の分化誘導剤としてのエピジェネティクス修飾剤の開発です。組織幹細胞の分化における制限はゲノムのメチル化にあり、その構造を意識し改変することが再生医療おける細胞転換のきっかけとなると考えています。先に述べた5-アザシチジンのような脱メチル化剤やクロマチン修飾剤などを考えています。第二点は移植のドナー細胞の規格化への応用です。具体的には細胞特異的なDNAメチル化可変領域(T-DMR,Tissue-dependent,Differentially Methylated Region)を短時間で検証する方法を開発し、それによりドナー細胞としての有効性・安全性の担保が出来ないかというアプローチです。更に、産業化している移植医療の安全性を担保するためにドナー細胞の腫瘍化可能性を、癌遺伝子p16、RB等の遺伝子のエピジェネティクな変化を網羅的に解析し、形質転換可能性のCut off値を設定し、移植可能性を担保することに利用できないかと考えています。そのためには早急なエピゲノム情報の基盤整備は必要不可欠であり、エピゲノム情報基盤の構築を国際協調を持って推進しようとする国際ヒトエピゲノムコンソーシアム(InternationalHuman Epigenome Consortium, IHEC)が発足したのも世界がエピジェネティクス研究の重要性を認識してのものです。日本における再生医療へのエピジェネティクス研究の応用を考えても日本のIHECへの参加は必須のことと考えます。」
西野「再生医療におけるエピジェネティクス研究について薬事法上はどう定義されているのでしょうか?」
梅澤「薬事法上の再生医療に関する指針(ガイドライン)に、エピジェネティクスの網羅的解析が記載されています(文献1-5)。2008年2月及び9月にヒト由来細胞・組織加工医薬品等品質及び安全性の確保に関する指針(医薬発第1314号)が改訂され、ヒト由来細胞を「自己」由来細胞(薬食発第0208003号)と、「同種」由来細胞(薬食発第0912006号)との2つに分けて示されました。これにより、品質及び安全性の確保のための手段がより明確化され、再生医療用医薬品の研究開発に拍車がかかるものと期待されています。また、さらに体性幹細胞(自己、同種)、ES細胞、iPS細胞(自己、同種)に関して、それぞれヒト幹細胞加工医薬品等の品質及び安全性の確保に関する指針(案)が発表されました。全ての幹細胞に対する指針(案)の中で、注として「試験的検体を用いた検討に際して、特異的マーカーに加えて、網羅的解析を用いた解析が有用な場合もある。」と指摘しており、その網羅的解析のひとつにエピジェネティクス(DNAメチル化)が挙げられています。すなわち、新たな局面を迎えている再生医療・細胞治療分野において、選択すべき重要な細胞特性指標としてエピジェネティクスに注目が集まっているのです。」
西野「再生医療や各種疾患の診断、治療にエピジェネティクス研究が成果を上げている現状を紹介いて頂きました。国際ヒトエピゲノムコンソーシアムが発足し、エピジェネティクス研究の重要性がますます高まる今日、エピジェネティクス研究に携われることを幸運に思います。梅澤さん、ありがとう。」
参考文献
1. 早川堯夫、梅澤明弘、山中伸弥、小澤敬也、大和雅之、澤芳樹、山口照英、松山晃文、佐藤陽治、中内啓光。ヒト(自己)体性幹細胞加工医薬品等の品質及び安全性の確保に関する指針案(中間報告)、再生医療、9(1):116-127, 2010
2. 早川堯夫、梅澤明弘、山中伸弥、小澤敬也、大和雅之、澤芳樹、山口照英、松山晃文、佐藤陽治、中内啓光。ヒト(同種)体性幹細胞加工医薬品等の品質及び安全性の確保に関する指針案(中間 報告)。 再生医療、9(1):128-138, 2010
3. 早川堯夫、梅澤明弘、山中伸弥、小澤敬也、大和雅之、澤芳樹、山口照英、松山晃文、佐藤陽治、中内啓光。 ヒト(自己)iPS(様)細胞加工医薬品加工等の品質及び安全性の確保に関する指針案(中間報告)。 再生医療、9(1):139-151,2010
4. 早川堯夫、梅澤明弘、山中伸弥、小澤敬也、大和雅之、澤芳樹、山口照英、松山晃文、佐藤陽治、中内啓光。 ヒト(同種)iPS(様)細胞加工医薬品加工等の品質及び安全性の確保に関する指針案(中間報告)。 再生医療、9(1):152-165, 2010.
5. 早川堯夫、梅澤明弘、山中伸弥、小澤敬也、大和雅之、澤芳樹、山口照英、松山晃文、佐藤陽治、中内啓光。 ヒトES細胞加工医薬品等の品質及び安全性の確保に関する指針案(中間報告)、 再生医療、 9(1):166-180, 2010.
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