生命倫理法研究会での、中山茂樹氏(京都産業大学、気合いの入った法学者)のご講演での単語(配付資料)ーーー意味が理解できないところがあり、将来調べてみようと思っています。
学問の自由:人権と「特権」の2側面
最大判昭和38.5.22刑集17-4-370(ポポロ事件)
憲法23条の学問の自由は、学問的研究の自由とその研究結果の発表の自由とを含み、それらを広く国民に対して保障するとともに、大学におけるそれらの自由を保障することをその趣旨とする。
最大判昭和38.5.22刑集17-4-370(ポポロ事件)
憲法23条の学問の自由は、学問的研究の自由とその研究結果の発表の自由とを含み、それらを広く国民に対して保障するとともに、大学におけるそれらの自由を保障することをその趣旨とする。
学問の自由が公共の利益にもとづく「特権」であるとすれば、社会の基本的な価値に関する社会的合意形成によって、自由が制限されることは自然である。
学問の自由の憲法的保障の意義
人権としての学問の自由も、他者危害禁止等の理由により制限をうけるのは当然。
保護すべき法益(誰かの個人情報)ごとに規律を考えていく必要がある。
人権としての学問の自由も、他者危害禁止等の理由により制限をうけるのは当然。
保護すべき法益(誰かの個人情報)ごとに規律を考えていく必要がある。
法益:法的に保護すべき利益。
私益:公益(公共の利益)に対する言葉。公益ではない、法益というのもあるらしい。
私益:公益(公共の利益)に対する言葉。公益ではない、法益というのもあるらしい。
ヒト難治性疾患のゲノムバンクにかかるルールの法益とは、「誰か(患者ないし親族)の個人情報」を守ることである。小児難治性疾患であると症例数が限られるので、法益を担保するのがむずかしくなる。また、法益としては、「誰かの個人情報」のみならず、社会にゲノム情報が(たとえ連結不可能匿名化されたとしていても)流通しない方がいいという考えがある場合はそれを侵さないというルールが必要になるそうである。
民主主義:マクロな決定の手続きのあり方の問題
ミクロな具体的処分における当事者のdue processとは異なる。
ミクロな具体的処分における当事者のdue processとは異なる。
社会のみんなを拘束する決定を行えるのは国民代表議会のみである(憲法)。
人権:社会全体の利益になるとしても侵すことのできない個人の私的領域。
人権:社会全体の利益になるとしても侵すことのできない個人の私的領域。
指針
法律で定めなくてよいのか。:民主的正統性
研究費の給付の条件である。
法律で定めなくてよいのか。:民主的正統性
研究費の給付の条件である。
「憲法の理性」(161ページ、長谷部恭男)
人々は単にやっかいな問題について真剣に検討しないですませるためにこれらの文章を利用していることになる。。。
人々は単にやっかいな問題について真剣に検討しないですませるためにこれらの文章を利用していることになる。。。
研究者(と言う変わった人たち)集団の自律性
日本では、行政指針が定められ、それに従っていることで社会から非難を受けることなく研究が進められる、という面がある。
倫理あるいは「正しさ」についての議論を他者あるいは行政にあずけてしまうべきではない。そもそも、この手の議論は行政ではなく立法(国会)で行うところである。行政の方が、国会より、(日本では)信頼されているようだ。
日本では、行政指針が定められ、それに従っていることで社会から非難を受けることなく研究が進められる、という面がある。
倫理あるいは「正しさ」についての議論を他者あるいは行政にあずけてしまうべきではない。そもそも、この手の議論は行政ではなく立法(国会)で行うところである。行政の方が、国会より、(日本では)信頼されているようだ。
「予定調和」
小説やドラマなどの物語世界において決まった結末が定められ、物語がその結末へ向けて収束する事を予定調和と呼ぶ。ミステリー小説においてはどのような形であれ事件は解決し、恋愛小説においては何らかの恋愛が成就する……というように多くの物語では一定の結末を迎える事が約束されており、何らかの予想可能な結末を迎える事になる。そのような意味から考えれば、物語は広い意味での予定調和の上に成り立っていると言えるだろう。ただし一般的には、時代劇において悪代官や腹黒商人が、民衆の味方である先の天下の副将軍や退屈な旗本によって懲らしめられるといった予め結末はわかっている物語において、その予定通りの結末が描かれる事を予定調和と呼ぶ事が多い。またゲームなどにおいては、どんな行動をとったかに関わらず一定の結末へ向かうようなベクトルが定められているものを揶揄する表現として使われる場合もある。
小説やドラマなどの物語世界において決まった結末が定められ、物語がその結末へ向けて収束する事を予定調和と呼ぶ。ミステリー小説においてはどのような形であれ事件は解決し、恋愛小説においては何らかの恋愛が成就する……というように多くの物語では一定の結末を迎える事が約束されており、何らかの予想可能な結末を迎える事になる。そのような意味から考えれば、物語は広い意味での予定調和の上に成り立っていると言えるだろう。ただし一般的には、時代劇において悪代官や腹黒商人が、民衆の味方である先の天下の副将軍や退屈な旗本によって懲らしめられるといった予め結末はわかっている物語において、その予定通りの結末が描かれる事を予定調和と呼ぶ事が多い。またゲームなどにおいては、どんな行動をとったかに関わらず一定の結末へ向かうようなベクトルが定められているものを揶揄する表現として使われる場合もある。
ライプニッツは、神が、予め、個々のモナドが結果として一致して、ひとつの宇宙を反映するように、うまく初期状態を定めたからだ、ということであった。たとえば二つの異なるメカニズムの時計をそれぞれ同じ時刻に鳴るように仕組んだ場合、二つの時計の間に相互作用はないにもかかわらず、あたかも相互作用があるかのような一致が結果として生まれる。このモナドの相互調和、そしてそれによって反映される共通のひとつの宇宙が、可能世界のうちで「最善」の世界である。この反映される調和状態、宇宙が可能なうち「最善」の世界であるとされるのは、単に最も善いものを反映するように複数のすべてのモナドを強調させることは論理的に不可能であるかもしれないからだ。誰もがハッピーという状態は並存不可能だというのは明らかなところだろう。
重要な課題でいつも考えなくてはいけなくてはいけないことなのでしょう。時間と労力の問題だよね。まじめにずっとやれば、これだけで一生終えることができると思う。
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